というか、自然言語の問題じゃない?

「そのアルゴリズムは止まるんですか?」

とか

アルゴリズムの停止性』

とかって、あれですよ。

湯を沸かす
穴を掘る

と同じことですよ。
多分、日本語に限らず、どんな自然言語にもあると思いますが、その操作や変化の結果でしかそれを得られないようなものを前提とした表現をする、自然言語特有の表現方法があるんです。*1そのせいで、一見論理的ではないような表現になってしまうのですよ。*2

定理の証明

とかもおかしいでしょ。だって、証明されたものだけが定理なわけで、論理的に正しい表現を求めれば

命題の証明

となるところを、証明の結果得られる定理を前提とした表現になっているわけです。

*1:「結果目的語」とか「生産動詞」とかっていう言葉もあるらしいです

*2:でも、それが自然言語の表現の柔軟性を生み出しているともいえるんですけどね