座頭市 ASIN:B0000A9D4A

北野武の「座頭市」を見てきました。

何でも、昔、勝新太郎が主演して、大人気だったシリーズらしいですが、最後の作品が14年も前のことだということで、年齢的に観ていないので、そっちについてはコメント不可能です。

さて、北野武の方の座頭市ですが、さすがに、ベネチアトロントで賞を取っただけのことはあります。とても面白く印象深かったと思いました。

前評判では、斬新な演出と聞いていたのですが、私にとっては懐かしい演出に感じました。何でかと思ったら、昔、よく観て、自分でもやっていた"演劇"のテイストに似ていたのです。実際、随所に見られる映画らしくないテクニックの多くは、一級の演劇でよく使われるテクニックでした。タップダンスなんかは、まさに演劇の演出ですよね。それから、訳のわからない裸のデブが無意味に走っているのも、そういう演出の一つです。他にも色々ありましたけど、あんまり言うとネタばれになる気もするし、やめておきます。

感心したのは、「座頭市」というよく知られた話を、ストーリーの外見だけ借りて、そのストーリーの内部を解体して、骨抜きにしてしまったところです。非常に知的な遊び心にあふれた演出だと思います。
北野武座頭市では、映画の表面的なストーリーそのものには、意味がない。それは当然です。なぜなら、ストーリーは誰でも知っているし、結末に意外性を期待することは無理だから。そのために、ストーリーは映画を進めるための流れでさえあればよく、映画のテーマであり伝えたい中心は、ストーリーの他に求められることになります。
そういう意味で、今回の座頭市は、「本歌取り」的な面白さ、つまり、オリジナルのストーリーの解体と再構成の巧妙さが、映画の面白さの重要な部分を占めているということがあります。また、そのことは、オリジナルのようにシリーズ化することは決してないということでもあります。

最後に、なぜこれほどまでに暴力的なのだろうと思いました。うっかりさわるだけでも血が吹き出す切れ味の日本刀を、遠慮会釈もなく振り回し、えげつないまでのリアル感のある効果音を大音量で入れています。これでもかというほど、暴力を暴力的に際立たせる演出をしているのは、一体なぜなのか?
いわば、一口食べるだけで、辛さで舌がしびれてしまうほど辛いカレーを食べたようなものです。なぜ、こんなに香辛料を入れなければならないのか? もっと香辛料の量を押さえて、食べやすいカレーにしても良いはずなのに、なぜなのか? しかし、その激辛カレーは、最初の辛さの一撃をぐっとこらえて我慢すれば、辛さの一撃が去った後に、独特の魅力的な味わいが残る。その味わいは、全く最初の辛さとは関連しない味なのだが、最初の強烈な辛さがなければその独特の味わいを感じることはできない。そういうカレーを食べたような感じなのです。
この独特の味わいは、言葉に表現するのが難しく、また難しいからこそ、その独特の味わいのために、わざわざ必要以上の暴力を用いているわけなのですが、それを、ちょっと無理して言葉にすると、「刹那的な生」あるいは「一期一会的な生」の感覚の味わいなのではないかと思います。そして、それは、北野武の全作品を通して感じられるものではないかと考えています。

映画の最後のフィナーレを飾るタップダンスは、激辛カレーを食べたあとの、口直しのデザートでもあり、「刹那的な生」に対する礼賛の表現でもあると思いました。