なぜ、民主主義なのか?

民主主義がなぜ重要なのかについて、納得のある説明を今まで聞いたことがない。民主主義よりも賢明な独裁制の方が優れているという意見は時折耳にするが、民主主義が優れていることについての論理的な説明というものは、今までお目にかかったことがない。しかし、民主主義が前提であることについて、疑いを持っている人というのも、また、ほとんどいない。なぜ民主主義でなければならないのか?という問いを発するだけで、この人は正気だろうか?という視線にあったこともある。そのときも、やはり、民主主義である必然性についての納得の行く議論は得られなかった。

なぜ、民主主義なのか? この問いは、思ったより自明の議論ではない。民主主義の成立には、ある一定の前提条件が成り立っていることが必要だという意見もある。民主主義は効率的ではありえないという意見もある。このような意見は、民主主義というものに対して、その全能性について懐疑的な意見を表明したものといえる。

民主主義では、政治家の「集票力」や「人気」に政治が左右されてしまうという問題が、もっとも目を引く問題ではないだろうか? その政治家の実際の政権担当能力とは関係ないこれらのことで当選落選が決まってしまうことは、合理的に正しい政治がゆがめられてしまっているという批判がありえよう。また、既得権益に癒着した政治家が、その力を使って集票を行うことで、既得権益が保護されるのではないかとの指摘もありえる。さらに、経済に対して影響力の大きい法人が選挙権を持たないで個人事業主が選挙権を持っていることや、人数の少ない高所得者と人数の多い低所得者がともに等しく一人一票しか持っていないことで、政治が大企業や高所得者を不当に攻撃するものになっていると主張する人もいる。

しかし、民主主義の本来の目的からすれば、これらの問題は実は些細な問題といえる。

民主主義の本来の目的は、政治権力が既得権益と結びついて腐敗することに対して、抑制的な力を与えることにある。すべての国民が等しく一票を持つことで、政治権力は、特定の少数集団を極端に優遇することが不可能になるのだ。政治権力が特定の少数集団を極端に優遇すると、そのしわ寄せが他の多数の国民に及ぶ。そのことは、政治権力に対する国民の不満となり、政権が転覆される可能性が生まれる。そのため、政治権力は、あまりあからさまな優遇をすることはできず、腐敗の規模と程度は抑制されるのだ。たしかに、民主主義の制度のもとでも、政治権力と既得権益が結びついて腐敗するということは日常的に発生する。しかし、独裁政権のそれとは規模も程度も比較の対象になるものではない。民主主義のもとでは、政治権力が優遇する集団の規模は、トータルで、少なくとも国民全体の半分以上の規模でなければならないという制約があるからだ。

確かに、民主主義は合意形成のためにエネルギーが必要であるし、選挙のたびに政権が変わるので政策運営について回り道が多い。しかし、独裁政権における癒着と暴走が構造的に起こり得ない、非常にうまくできたシステムなのである。