難しい童話2

昨日の続きです。
経世済民・言及編」に以下のようにかかれています。

 生産効率の向上が起こり、新たな生産物が誕生しなくなった状態を想定しましたが、これはそれと全く逆の状態も有り得ます。つまり、新たな生産物が誕生をしたのに、生産効率の向上が起こっていない状態です。前者とは違い、この場合は人手不足です。何か、別の生産物の生産を終了にし、人手を余らせなければ、新たな生産物を生産する事はできません。

上記に端的に記述されている通り、「百」さんの論は、生産効率の向上と、それによって生まれる余剰の労働力、そしてそれを吸収するべき新しい産業という3つの要素の関係がメインテーマになっています。
ところで、生産効率の向上とそれに伴う経済のダイナミズムを経済学の中に取り込むことに成功したのは、僕の理解では、新古典派経済学が最初だったと思います。それ以前の経済学(ケインズ経済学、マルクス経済学、それ以前の古典的な経済学)は、そのような生産効率に伴うダイナミズムを内包しておらず、経済学を静的な視点で分析しているものでした。(と僕は理解しています)
「百」さんの論は、上述のような経済学史を考えると、新古典派によって発見された生産効率の向上という概念を、ケインズ経済学的な文脈で読み直そうとした試みとして位置付けられるのではないかと思います。つまり、新古典派のように新産業を興す主体を民間であると捉えるのではなく、ケインズ経済学のように政府が主導して新産業を興すべきだと。僕は、経済学を専攻しているわけではないので、最近の経済学派については詳しくないのですが、議論の流れとしてそのような展開は非常に自然だと思いますので、すでにそのような経済論文があってもおかしくはないと思いますけど、いかがなんでしょう? それとも、「百」さんの指摘が経済学の最先端を行っているのでしょうか?


(補筆)
経済システムの中で通貨が循環するという考え方は、ケインズが発見した原理です。この原理は、三面等価の原則と呼ばれ、国民経済計算というマクロ経済学の体系を貫く根本原理です。現代経済学の中では需要と供給の均衡という原理とともに最重要の原理の一つとして挙げられます。
コンピューター科学が発達したことで、経済学でも数値計算による分析が行われるようになり、需要供給の一般均衡と国民経済計算という経済学の2大原理を基にして、応用一般均衡分析という手法が開発されました。これによって、国民経済の内部の通貨の循環の様子を、具体的な数値をもって分析することが可能になりました。ただし、この分析は静的な経済分析しか扱うことができません。現在、この分野では、新古典派経済学で発見された生産効率の向上によるダイナミズムをどのように取り込んでいくかというところが、メインテーマになっていると聞きます。
三面等価、国民経済計算については、こちら(id:sakurapapa:20040810)によくまとまっているようです。