郵政民営化

毎日新聞の社説で、以下のような主張があった。

郵政改革は年金改革や財政改革と一体で取り組まれてこそ、本当の効果が出る。あえて優先して行うというのならば、それ相応の理由を明確にし、他の改革への波及効果も示さなければならない。

社説の内容は、全体として、民営化の内容について、自民党との妥協が進んでいることについての苦言であって、それなりに理屈の通った議論だと思うが、その結論として、上記引用の内容は納得がいかない。なぜ、すべての改革を同時に行う必要があるのだろうか?
法案の作成から審議、立法の過程には、大きなエネルギーが必要なので、大きな立法であるほど順番に行わざるをえない。このことは、実務を考えてみれば当然である。社説のような改革の同時性にこだわる主張は、実現性に乏しい机上の空論のように聞こえる。
また、理想が実現できなければ、何も変わらない方がよいという主張は、結局改革を実現できない消極的な思考だ。立法を実現させるための譲歩を嫌って、改革を白紙に戻す主張は、結局現状維持を望む守旧派の望むところになるのではないのだろうか? もし、本当に改革が必要だと考えているのならば、多少の譲歩を厭わずに前進することが大切なのではないだろうか?
以下、全文引用。

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20050206k0000m070121000c.html
社説:郵政民営化 これでは改革に値しない
郵政民営化で政府、自民党の妥協の動きが強まってきた。政府は4日、自民党に郵便局の配置基準や貯金、保険の全国一律サービスなど4項目で回答したが、そこに見え隠れするのは、何としても民営化法案を提出し、国会通過を図りたいという思惑だ。金融政策上も、資金循環上も弊害の大きい官営金融機関の改革は中心テーマではなくなっている。
小泉純一郎首相は「郵政民営化はこれまで誰もできなかったこと」「民営化の利点は限りなく大きい」と、形の改革にこだわっているが、いまの郵政民営化を巡る駆け引きは、プラスよりマイナスの方が大きい。これのどこが改革なのか。
政府は当初、1月中に民営化法案の大綱をまとめる意向だったが、自民党の民営化反対の姿勢が固く、調整が難航し、めどが立っていない。ただ、この間、政府は自民党に民営化の内容でかなり歩み寄っている。この日の回答もその延長線上にある。
郵便局の配置や貯金、保険の全国一律サービスの問題が典型だ。郵便局網では住民のアクセス確保のための努力義務を法律で課し、同時に、設置基準を省令で定め、特に過疎地への配慮を明確にするという。貯金、保険の全国一律サービスも完全民営化までの10年間は、窓口会社と貯金、保険会社の関係を何らかの形で担保すると回答した。具体的には代理店契約を銀行、保険会社免許の際に課す構想だ。その後も、法令上、金融サービスは社会貢献の一環だとの規定で、過疎地での貯金、保険サービスの確保を図るというものだ。
職員の身分では、特別送達など法律上公務員に限るとされている業務に携わる職員には法令上の資格制度を検討すると回答した。
全体として、民営化とは何なのか、それによって何をやろうとしているのか、ますます不明りょうになってきた。自民党は、完全民営化後が重要だとして、さらなる譲歩を求めている。ただ、「議論のスタートにはなる」と評価もしている。ここまで政府が譲れば当然のことだろう。
郵政改革は年金改革や財政改革と一体で取り組まれてこそ、本当の効果が出る。あえて優先して行うというのならば、それ相応の理由を明確にし、他の改革への波及効果も示さなければならない。竹中平蔵経済財政・郵政民営化担当相は、公的部門に大量に滞留している資金を民間に開放することで、民間部門が活性化され、財政にも良い影響が出るという。しかし、民営化したから資金も民間に流れる保証はない。国債の大量発行下では期待薄だ。
詰まるところ、民営化するにしろ、現状の公社のままにしろ、貯金、保険の資金量に踏み込まなければ問題は解決しない。この問題になると、政府は「政府保証が外れれば資金量は減る」「民間会社の活動を制限することはできない」とそっけない。こうした本質の問題を避け、自民党とさらなる妥協を重ね、民営化にこぎつけたとして、何の意味があるのか。
毎日新聞 2005年2月6日 0時24分