いじめ問題

昨日、ジェネジャンを見ていて、その内容は特記するほどのものはなかったのだけれど、そのテーマの一つにあったいじめ問題についてちょっと思ったので、一言。
いじめという現象は、その是非はともかく、学校に限らず、人間が集まると起こりがちな社会一般にある現象なので、成長過程においてそういう人間の性質について理解して対処することができるようにならなければならないものだと思います。ですから、そういう意味で、いじめられた子供に対して、いじめに負けないで対処できるようになる努力をしなければならないと求めることは、当然だと思います。人生を生きていく上で、いつかどこかでそういう強さを身につけなければならないと思うからです。
しかし、一方で、いじめに耐えかねて、自殺者まで出ている今、悪いのはいじめている側なので、いじめられた側を責めるようなことはいけないということが、説得力をもって語られています。しかし、ここで見落とされていると感じることは、自殺まで追い込まれた子供は、間違いなく神経症を患っているはずです。神経症を患った子供と、そうでない子供を区別しないで議論をすれば、議論が混乱してしまうのは明らかではないかと思うのです。また、神経症という観点を無視して、いじめ問題の解決を現場の先生に押し付けても、不幸な事件を止められないのも仕方ないのではないでしょうか?