いじめ問題2

ジェネジャンのキーワードで来ている人がやけに多いです。
ところで、なんか、コメントいただきましたけど、普通なら無視するか、サクッと削除するような内容*1なのですが、なんとなく思うことがあったので、言及しておくことにします。
こういう話って、いじめられた人の話が出てくると、議論する雰囲気でなくなる傾向があると思うのですが、それでは、結局、何も話が進まず、結局、現状が維持されてしまうことになるのではないかと思います。それに、いじめは、いじめられている人だけの問題ではなく、今子供を持っている人や将来子供を持つ人にも重大な関心事であるはずで、そのような人たちを議論から排除することも、現実の問題を解決から遠ざけることになるのではないかと思います。
今子供を持っている人や将来子供を持つ人にとって、最も重要なのは、今いじめられている人をどうするかという視点ではなくて、自分の子供をいじめから守るにはどうすればよいのかという視点ではないでしょうか? そのような観点に立てば、いじめられた人の感情的な体験談よりも、心理学者の専門家の見地からの分析の方がより有意義なのではないかと思います。でも、僕は心理学者ではありませんから、ここで僕が書いていることは、その入り口までの話です。つまり、専門家に話を持ち込む前の論点整理です。ちなみに、心理学者に相談するといっても、直接肉声で解説してもらう必要はないので、論点整理をした後は、その論点に従って心理学の文献(テキストでもエッセイでも雑誌でも)をチェックしていけばいいわけです。
ここまで話を整理して、上述した議論に戻ります。つまり、子育ての観点からのいじめ問題の肝は、子供の神経症であるという議論です。この議論は、子供を神経症にしないためにはどうすればいいのかと、子供が神経症になったらどのように対処すればよいのかという2つの議論に分割できます。また、子供の神経症というように議論を再定義すると、その原因は一概にいじめだけに負うものではないことにも気づきます。特に、家庭環境が神経症に与える影響は無視できないのではないかと思いますが、ここから先の議論は専門家の領域であるかもしれないので、深入りはしないことにします。
また、神経症という議論になれば、いじめよりも新しい問題であるニートとの関連性も見えてきます。いじめとニートでは、それぞれが所属するコミュニティが違いますが、いじめとニートの問題の発現時期のずれを考えると、意外に共通した原因を含んでいるのかもしれません。

*1:そういえば、コメントの扱いに関するポリシーをどこにも書いてなかったので、書いてみました。